他人にいくら羨ましがられても自分が幸せじゃないと満足はできない

大前提、自分が理想とするように人生を送ってきたはずだったのに、楽しくない・つまらないと思ってしまう理由はコレでした。

そもそも、自分が理想とする人生っていうのをちゃんと考えてこなかったんです。

なのに勉強を頑張って安定した職に就き、結婚し子供を育て、老後は旅行などをのんびりして暮らすことが幸せだと決めつけていたんです。 

決めつけてしまっていた理由は、私が自分主体の人生を歩んでこなかったためだと思います。だから何となく親から小さい頃から言われてきたこと「勉強を頑張れば国公立大学に行ける」とか「いい大学に行けばいい仕事が得られる、いい人と巡り会える」とか「友達は多いほうがいい」とか…様々なことを幸せの定義だと思い込んでしまっており、そのレールに乗れたら自分は幸せだと思ってしまっていました。つまり、他人が考える幸せ=自分の幸せになってしまっていたんです。

しかし、私も世界でオンリーワンの生き方、考え方、心を持った1人の人間であることを忘れていました。笑

こんな当たり前のことを忘れているって何だか笑えますよね。笑

でも産まれた親、兄弟の有無、育ち方、これまでの環境、経済力、出会った人、得意なこと、好きなこと、苦手なこと…、私たち人間は数え切れないくらいの因子が影響して1人の人間になっているので誰一人として全く同じ考え方の人はいないはずなんです。なのに幸せの定義が決まっているなんておかしい話だったんです。

だからこそ、私にとっての幸せとはなんぞやってところをまず考えてあげなければいけないということに気づきました。

正直こんな当たり前のことに気づくまで、恐ろしく時間がかかったと思います。そしてそれを受け入れることも、なかなか難しかったのです。

なぜなら自分の大好きな両親、兄弟、友達など身近な人に反論されると簡単に考えが揺らいでしまう、自分の価値観なんてものは簡単にどこかへ消えていってしまう、そんなヨワヨワな自分だったからです。

そんな私も心から幸せだーーっと感じ、自分自身に満足して、人生を送りたいと考えました。そのためにはまず人生を自分主体で生きる、つまり人生の主人公となること、自分軸を持つことが必要と考えました。

しかしこれには大きな壁が立ちはだかります。

生まれ育ってきてからずーーっと、自然と行ってしまっていた「他人と比較すること」「他人からどう思われるかを常に考えること」という習慣が、自分軸を簡単にブレさせてしまうのです。

じゃあなんで、このような習慣ができてしまったのか??

次回はこれについて書いていこうと思います。またお会いしましょう。

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